【読書感想】さようなら、猫(井上荒野)

 

さようなら、猫

さようなら、猫

 

乾いている人、求めている人、愛している人。

憎んでいる人、何も考えたくない人。

彼らの日々にそっと加えられる一匹の猫。

さびしくなかったら、きっと仔猫を助けるなんてことはしなかっただろう。

だから、ハッピーを手放すのは、

たんに元いた場所に戻るということなのだ。

元いた場所って?(「自分の猫」)

猫が横切るままならない人間世界。

短編の名手が紡ぐ9つの物語。

 

  

 初めて歩く街、路地裏の塀にさっと登る影。

 この本にでてくる猫はそんなイメージ。通りすがるだけで、我々に見向きもしないのが彼らの一貫したスタンスだ。

 猫と人間の関係が希薄なので、猫好きには物足りないかもしれない。さらに言えば、安直なケータイ小説を好むような若い人にも、この本の良さを分かれというほうが難しいだろう。ひとつひとつの物語は、何かが起こる前に終わるから。

 

 ビターでドライな、好みの分かれるお酒のような物語ばかり。

 専門学校をやめてクラブで夜遊びする毎日を過ごす主人公が、苦しいほど愛しい猫を誰とも知らない人に譲ろうとする蕩揺(「自分の猫」)。

 居場所探しをしていた猫を、急に見知らぬグランドで放り出す女性の無責任さ(「わからない猫」)。

 折り合いの悪い姉のところに、猫を引き取って欲しいと押しかける妹の嘘(「赤ん坊と猫」)。

 玉の輿に乗り、豪邸に身も心も閉じ込められた、相対的でしかない女(「降りられない猫」)。

 引きこもりのように過ごしていたキャットシッターの女性の嘘と、猫の気配がない不可思議な家(「名前のない猫」)。

 夫の不倫に苦しんだ末、自らも不倫に身を沈める不幸(「ラッキーじゃなかった猫」)。

 勤め先の店長の家で消臭剤の香りに囲まれながら猫の世話をする女の、嘘に気づかないふり(「他人の猫」)。

 父の痴呆にかこつけて元恋人(?)を呼び寄せる女のいじらしさ(「二十二年目の猫」)。

 美味しくない上に無責任、そして胡散臭い男が切り盛りする店に通い続ける謎(表題作「さようなら、猫」)。

 

 この本にはたくさんの嘘が出てくる。優しさのため?自己防衛のため?自尊心のため?復讐のため?そんな単純な嘘ではない。物事というのは、様々なものが入り組んでいるのだ。

 気まぐれでつかみどころのない猫以上に、厄介な人間の感情。筋の通らない、説明のできない言動をとる様は、読んでるだけでイライラするし痛々しい。どれも理解に苦しむけど、それが、それこそが人間なんだろう。

 すっきりしない読後感も、哀しみの余韻も、これでなかなか嫌いじゃない。

 

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